鬼滅の刃 -炎柱 煉獄杏寿郎という人間を形成したものを生い立ちからじっくり考えてみた- 弟に語った「寂しくとも」の意味とは?

「劇場版」鬼滅の刃-無限列車編-
©吾峠呼世晴「鬼滅の刃」無限列車編 ANIPLEX 公式PV

家族を鬼に殺され、孤児になった人が多い鬼殺隊の人たち。
そんな彼らに比べれば、母親の死は病気という人間として自然の摂理。
父親も生きていて、何より、お互い愛しくてたまらない弟がいる。
あの時代、ああいう父親はどこにでもよくいたし、父親は働かなくても裕福なだけかなりマシ。
杏寿郎自身も鬼狩りとしての才能に恵まれ、家柄もエリートで様々な教養を身に付けている。
あれ?
「煉獄さんの『寂しさ』はみんなよりかなりマシなのでは?」と思った人も多いはず。
そんな煉獄さんを生い立ちから焦点をあてて見ていきたいと思います。

母:瑠火の教え

「人より多くの才能に恵まれて生まれた者は、その力を世のため人のために使わなければならない。
その力で、人を傷つけたり、私腹を肥やしたりすることは許されない。
弱い人を助けることは、強く生まれた者の責務であり、責任をもって果たさなければならない使命である。」

母親が遺したこの教えを励みにがんばってきた煉獄さん。

この教えが鬼殺隊・柱としての煉獄さんを作り上げたのは間違いありません。

父親が炭治郎への謝罪の手紙で、煉獄さんの精神が強かったのは、母親の血が濃いかったからだと書かれていました。

煉獄さんは、強さはもちろん、頭の回転の速さや決断力、明朗快活な兄貴分など柱としての資質や、教養・礼儀正しさや、思いやりがあり思慮深く気遣いができる性格など素晴らしい人間性も兼ね備えていました。

これらの才は母親ももっていたかもしれませんが、煉獄家に生まれたからこそだとも思っています。

でないと、何百年も途切れることなく、代々炎柱なんてできませんよね。

「水と炎の剣士は、どの時代も必ず柱に入っていた。」と煉獄さんも言っていました。

煉獄さんが、煉獄家を誇りに思っていたのがうかがえます。

鬼殺隊「初任務」で学んだこと


「至高の領域に入れないのは人間だからだ。老いるから、死ぬからだ。」と言い放った猗窩座に対して、
「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。
老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ。」

と言った煉獄さん。

「母親の死からこんなこと悟ったの?
大正時代の20歳は、一家の大黒柱になっていてもおかしくない立派な大人だけれど、それにしても悟りすぎ!」

と思っていたら、煉獄零話を読んで納得しました。

最終選別のとき、煉獄さんが助けてあげた同い年の彼。
「あなたのように強くなって、仲間やみんなを助けられるようになりたい。」と言っていた彼。
その彼が死んでしまうような気がして、「一緒に頑張ろう」という言葉に一瞬詰まった煉獄さん。
その後、煉獄さんが初任務で増援として駆け付けたとき、その彼が先に鬼に殺されていました。
指文字で短いメッセージを遺して。


「人生は選ぶことの繰り返し。
けれども選択肢も考える時間も無限にあるわけではなく、刹那で選び取ったものがその人を形作っていく。」

⇒普段から、判断力・決断力が相当早かったようですが、これは戦いの場数を踏んできたからこそ培われたものだったのですね。
私はこの言葉にはっとさせられました。
本当にそうだなと思って。
人生訓の一つですね。
ワニ先生、こんな言葉を少年漫画に入れてくださるなんて…ありがたい!
こどもたちには響いているかはわかりませんが。

「誰かの命を守るため、精いっぱい戦おうとする人はただただ愛おしい。
清らかでひたむきな思いに才能の有無は関係ない。
命を懸けているのは、誰かに賞賛されたいからではなく、どうしてもそうせずにはいられなかった。
その瞬間に選んだことが魂の叫びだっただけ。」

⇒20歳でこんなにも人間愛にあふれ、悟っていたのは、たくさんの仲間の死を乗り越えてきたからこそ行きついた境地だったのですね。
肉親や仲間の死は、悲しく辛いものです。
しかしそれを「人間の美しさ」と思うことによって悲しみに飲み込まれずにすんだのかもしれませんね。


「みんなのお陰で命を守れた。
ありがとう。最期まで戦ってくれて。
自分ではない誰かのために。
助けてくれてありがとう。
君たちのような立派な人に、いつかきっと俺もなりたい。」

と、仲間に対して心の中で述べた煉獄さん。
自分のほうが強いのに…。
なんて謙虚なの。

猗窩座との戦いのときも、
「強さというものは、肉体に対してのみ使う言葉ではない。この少年は弱くない。侮辱するな。」
と言っていました。
「この少年は~」は本心だったのですね。


ちなみに、煉獄さんって、自分の強さに自信をもっているのがよくわかりますよね。
柱だから当然といえば当然ですけど。
でも絶対、誇示したり、見下したりしないどころか、後輩など相手いいところはすぐ認めるんですよね。
オリンピック王者など、自分に自信のあるアスリートが、次世代の子たちを褒めるシーンが重なりました。

それにしても初任務が、「たくさんの仲間がやられた後、たった一人での増援」って。
お館様ひどすぎ!
柱(父親)を投入すべきでしょ!
それだけ煉獄さんが強いと思われていたのかな?

もし父親が「息子(杏寿郎)が柱になったこと」を褒め、認めていたら?


私は、煉獄さんの強さには関係ないだろうと推測していました。
なぜなら、煉獄さんはそんなことで熱い思いが変わるような男ではないから。


しかし、煉獄さんの声優を務められた日野聡さんが、「父親が杏寿郎を認めていなかったからこそ、彼は強くなれたのかもしれない。」とおっしゃっていました。
なるほど!
そういえば、煉獄さんは「自分が柱になったら父親もやる気を取り戻してくれる」と信じてがんばっていました。
やはり、煉獄さんになりきって演じられた日野さんのお言葉は重みがありますね!

煉獄さん寂しさとは?


ここまで書いてみて、煉獄さんの寂しさ(寂寥感)は、もの悲しさといよりも「虚しさ」のような気がしました。

様々なものを手に入れた完璧男だからこそ、唯一手にできなかったもの(父親からの承認)が自分の中で心残りというか。

でも煉獄さんが本当に求めているのは「父親からの承認」ではなく、「父親が立ち直ること」だと思います。

かつては柱だった父親。
尊敬し、憧れていた、強くて優しい父親。
だから、あのような落ちぶれた姿を見るのが辛い。

自分が柱になるほどがんばったら立ち直ると思っていたのに、相変わらずなため、虚しさを感じる。

つまり、家族を鬼に殺された隊員たちとは「寂しさ」の種類が違うのだと思いました。

たわごと


漫画や映画を見すぎたせいでしょうか。
煉獄さんのことを、まるで実際にいたよく知っている人のように感じるのです。
訂正。
よく知っている人ではなく、好きな人。

だから、その喪失感が半端なく辛い!!!

私のような感覚に陥っている人、日本中にたくさんいますよね。
語りたいけど、残念ながら私の周りにいない。
みんな、どこにいるのー!!

そういえば「柱は9画だから9人にした」そうですが、もし父・槇寿郎が腑抜けになっていなかったら、いつまでたっても「杏寿郎は柱になることができなかった」のでしょうか?それとも、「杏寿郎が条件を満たして柱になれば、槇寿郎が職を追われる」だったのでしょうか?ひょっとすると「親子で炎柱2人で、柱の合計10人だった」とか??

男女関係なく、煉獄さんのような人間に憧れます。
いるのかな??みなさんの周りには煉獄さんみたいな人いますか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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